ひよこめも

自分用の記録です

図書館にハマっている話

TL;DR

  • 最近、気軽に図書館に行くようになった。
  • 図書館は「どれだけ立ち読みしていても怒られない本屋」なのでは?と気づいた。
  • 読書の習慣を戻すことに成功した(気がする)。

本題

気がつけば更新がすっかり止まって2023年になっていました。 Wordpressかなにかでブログでも始めたいなと思いつつ、そういえば昔自分用のメモではてな使ってたなと思い出した次第。 過去に書いたエントリの内容をすっかり忘れており、開発してる雰囲気があるな〜(※雰囲気だけ)、メモって大事だな〜と再認識しました。

閑話休題。 最近、時間があれば図書館にふらりと立ち寄っています。 在住地域の図書館は結構充実しているので、利用者も多く常時賑わっている良い場所です。

子供時代はどこに行くにも本を片手に、というくらい活字中毒だったのですが、大学・就職と忙しい日々を過ごすに連れて読書から手が離れ早数年…昨年読んだ本は仕事関連を含めても両手に余る程度かな、というくらいの堕落ぶりでした。 そして次第に「一冊の本を読み切る」という行為自体に苦手意識を抱くようになっていました。

本は好き、本屋も好き、立ち寄った先で時間が余ると本屋に足を向けるものの、興味を惹かれて買った本はその時だけの興味に留まってしまい、積ん読コレクションの堆肥に早変わり。いつの間にか自分の部屋の積ん読で軽いブックカフェが開けそうな具合になっているのですが、本屋に入るとまた面白そうな違うタイトルを手に取ってしまう…の繰り返しでした。

さて、そんな読書耐性が著しく下がった状態でも、人間はある日突然「そうだ、今日図書館に行こう」と思いつくものです。お天気が良かったんですよね。 そして踏み入った図書館で数時間。私は気づきました。そう、「図書館は合法立ち読みができる本屋だ」ということに。 (立ち読みが違法なのかは知らないです)

本棚の前を歩いて、ふと目に止まったタイトルを手に取る。ぱらぱらと数ページ読み進め、「へ〜こんな世界があるんだ」と興味をひかれる。ここで、普段であれば「買うか」「買わないか」の選択に迫られるのですが、驚いたことに図書館ではそのまま立ち止まって最後まで読んでしまっても良いのです。もちろん閲覧席で座って読むのもヨシ。「買うほどでも無いけどこの目次の内容は気になるな」と頁を捲っている最中に、横目で店員さんからの立ち読みしないでねオーラを確認しなくてもよいのです。驚きです。 元々図書館によく通う人からすれば当たり前のことなのかもしれませんが、本との接点が主に本屋だった自分からすると、こんなに恵まれた環境があったのかと目から鱗が落ちました。

そして、図書館で本を読むようになって、自分と読書の距離感にも変化がありました。 本が読めるようになってきたのです。 読書に感じていた抵抗感が薄れ、「本が読める人間に戻った!」という実感を得られるようになってきました。(まだ道中)

図書館では、「買わなくてもいい」からこそできる大雑把な読み方をしています。気になった本の目次を見て、気になった章だけ熟読したり。興味の薄い章や小難しくて一読で理解できない部分は、「なんか文字が書いてある〜」程度に目を滑らして頁を捲ったり。そうして、とりあえず最後の頁まで紙を捲ってあとがきを読んだら読了!というかる〜い読書を重ねていくことで、読書筋をゆるく刺激できたのだと思います。 近年は仕事関連の本が主な読書対象になっていたこともあり、難しい内容を頭から理解しなければいけない、という思いが先行してしまっていたのかな、と気づきました。分厚い技術書や資格本も、返り読みを何回もするよりも、まず全ページ捲って何がどのくらいの分量で書いてあるのか把握するくらいの方がいいな、と最近は考えています。

また、ネット上で情報がたくさん得られる昨今に、図書館や本屋の意味は何か、という点についても、自分の意見が一つ増えたように思います。 物理的に本棚の前を歩き、興味のある本を興味のなかった分野から見つけることは、Webで特定の検索語を入力し情報を得る作業では得られない体験だと思います。医学や図書館学、数学、物理学、語学、心理学…どのエリアを通っても、読んでみたいと感じる本があり、自分が普段注力している範囲の外の方が世界は広いのだということを改めて感じます。例えるなら、総合大学で他学部も含めたカリキュラムを流し見しているような感覚で、知的好奇心ってこういうものじゃないかしら、とわくわくするような気持ちです。 便利な時代になったことは嬉しい反面、従来の世界にあるすべてが置き換えられると考えない方が良いのだなと再実感しました。

これで書きたかったことは全てかな。 雑記でした。 この調子で自宅の積ん読も徐々に溶かしていければいいな、と思います。